

一九九七年三月、無事に宮崎の私立大学を卒業した私は、地元である長野県の食品会社に就職した。朝八時から夕方五時までの、ふつうの会社である。しかし、ふつうであっだのはここに勤めていた一年間だけで、その後、自分の専攻を生かそうと思って転職した熱帯果樹園は、たった1ヵ月でクビになった。まだたいして仕事も覚えていなかったのに。なんでだ。「あなたはこの仕事には向いていません」とまで言われた。四年間もかけてやってきたのに、なんでだ。小さい頃から、いじめにあったり高校受験に失敗したりと、何度も挫折を味わってきている私ではあるが、今回はかなり希望に燃えていただけあって、完全に自信を失い、頭の中の線が何本か切れてしまった。長年勤め上げた会社にリストラされたおじさん達が、慰病にかかってしまうように、私も目標が何もないただのふぬけとなって毎日ぼんやりとしていた。思い出すのは、大学時代の楽しい思い出ばかり。その中でも、長野には決してない、海の風景ばかりが頭をよぎった。ざざーん、ざざーん、ざざーん、ざ……。沖縄に旅行にいこうと思い立つだのは、五月のはじめであった。これ以上ここにいては、さらに頭の中の線が切れていく。とりあえず那覇での一週間分の宿を予約して、逃げるように長野から飛び出した。もう、どうにでもなれ。これから先のことなんて、その時になってから考えればいい。こうして、五月の終わりから1ヵ月間にわたる沖縄旅行が始まったのだ。
循環湯のしくみは、浴槽から流れ出たお湯を循環濾過装置に通し、垢やゴミ、体毛などの老廃不純物を取り除く。そのうえで塩素殺菌し、場合によっては水道水を加えて温め直し、ふたたび浴槽に戻すのである。こうして何度も循環されていくうちに、元の温泉からはほど遠い泉質になってしまうことは、想像に難くない。実際、以前私が温泉各地を取材して持ち帰ったお湯を分析したところ、ときには「ただのお湯」ということもあった。不思議に思っていたところ、たまたまある温泉地で「循環濾過装置」という器械を見せてもらい、その謎がやっと解けた思いがした。循環濾過装置を使わなければならない理由は、ひとつにはコストの問題があげられる。お湯をかけ流しにすれば、それだけ源泉から引き込む湯量が必要になる。この温泉を引き込む権利(温泉使用権)が湯量によって変わってくるため、大量の温泉使用はホテルや旅館の経営を圧迫しかねない。それが循環湯なら、引き込む源泉の湯量は少なくてすむ。実際、私はある旅館で、「客がいったん使ったお湯を回収して、この循環装置で濾過し、組合から購入した温泉の湯と混ぜれば経費節約にもなる」といって、業者が勧めにくることがあるという話を聞いたことがある。また、温泉地周辺の乱開発によって源泉が枯れつつあり、温泉旅館やホテル同士の湯争いの激化も手伝って、資源保護の立場から「循環濾過装置」を使わざるをえないという事情もあるらしい。しかも、源泉の湧出量が少ない温泉地では、大規模な旅館やホテルの浴槽に温泉を十分に満たすのは困難である。その結果、浴槽の湯量を増やすために水道水などを加えざるをえない。源泉を保護するためには、そんな措置はやむをえないことかもしれない。たとえそうであったとしても、循環湯であることくらいは最低限、明示してほしいものである。ところが現実には、循環湯にもかかわらず堂々と「天然温泉」と謳っているところも少なくない。それこそ「本物の温泉」だと思って入浴する客は、いい面の皮である。私の体験からいえば、東北地方のある温泉旅館のように、「源泉保護のために露天風呂の湯の出方を調節しています」などと偽って、ただの水を沸かして使っているようなところは、いったいどんな料簡かと思ってしまう。これは悪質な例だが、全国の温泉地でいま、「天然温泉」という名のもと、循環方式の温泉へと移行するところが増えているのは、まぎれもない事実なのである。ただ、京都にある夕日ヶ浦温泉は「本物の温泉」であるので、安心して訪れてもらいたい。